失敗は怖い
ガラスのハートの方には反面教師がおすすめ
失敗から学べることってたくさんあると思う。
けど、失敗するのって怖いなぁ…
特にガラスのハートだった僕は、完璧主義的な傾向が強いのも相まって、なかなか挑戦することができなかった。(最近は少し克服できた気がする)
でも、もしかしたら、失敗せずとも失敗から学ぶことができてたんじゃないかなぁとも振り返って思う。
というのも、人の失敗見て「ああはなりたくない」って反面教師にする癖が自分にはあった。そして「自分ならこうする」「自分はああじゃなく、こうしよう」と思って実行して、他人が経験した誤りを回避することに成功することもあったと思う。
なんか性格悪いようだけど、反面教師ってやり方のおかげで、今の自分がある自覚は大いに感じてるので、個人的にはこの戦略がとても好きです。
私の家庭はなかなか複雑ででたらめだったけど、でたらめすぎたおかげで世間との乖離が大きく、反省すべき点がはっきりわかって、反対のことしたらうまくいくって思えた。当時は嫌いだったけど、今はとても感謝してる。
「ありがとう(嫌味)」
(※特に今は特別な感情はないです。感情に支配されてくないって思っててうまくいってる感じ。今度書こう。)
研究者マインド
とはいえ、自ら失敗しないと後手に回ることも多いので、それはデメリットになる。
そこで最近実践してるのが、というかそういう風に勝手になってきたのが、失敗を失敗と捉えず、そこから得たものに着目するということ。その方法ここは良くてここはダメだとわかった、別の手段を試してみよう、みたいな。
研究者はある仮説を立てて、それを検証して、その仮説が正しくなかった時、それは失敗ではなく、「この仮説が通用しないという点で一歩進んだ、一つ研究が蓄積された」って考えるらしい。できないとわかっただけで価値があるんです。(このマインドを知って卒論の研究が楽になった)
エジソンも「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を見つけたのだ」っていってたみたいだし。
失敗に対する認識を変える、という感じ?
事実に対して「失敗した」というラベルを貼るのではなく、「反証結果が得られた」と認識する。なんか「得られた」ってポジティブなニュアンスを含んでそうじゃない?
知識が増えるのは嬉しいし。
人間の主観は曖昧で柔軟なもので、少し言葉の定義を変えることで、または認識を変えることで、同じ事象でも全く別のものにできちゃいます。要は物事思い込み次第。
思い込みバンザイ。