筋トレするから、筋肉youtuberの動画をたまに見ます。
つい最近"中山きんにくん"さんがボディビル、フィジーク大会の様子を動画投稿してました。
その時の感想は、男性ビルダーを見て「おーすげー、かっこいい、こうなりたい」でした。好意的な感情がありました。
女性ビルダーのコンテストもあってました。
それを見て僕の感情はどうだったかと言うと、男性のコンテストの時とは違う「非好感的なもの」でした。
どちらも同じ鍛え上げられた肉体であるにもかかわらず、なぜか後者に対しては好感を持てなかったんです。ポジティブに見れなかった。ストレートにいうと「なんか気持ち悪いな」
一つだけ言っておくと、これは女性ビルダーの方がクオリティが低くて面白くないから、といった考えから生じるものではありません。(そもそも僕よりも出場者の方が筋肉多いし、絞りもエグいので上からものをいう立場に僕はありません。)
男+鍛え上げられた肉体=ポジティブ
女+鍛え上げられた肉体=ネガティブ
このように僕の脳みそは捉えたようです。
どちらも人間、男か女かの違いしかないのに筋肉に対する見方が全く違う。
うーん、なんか変。
原因
なぜか?
「女性に求められるのは女性的な肉体」だという認識を持っているからだろうなぁと当たり前の推測。
その女性的な肉体とはきっと丸みを帯びたやわらかそうな肉体のことで、おそらく僕の脳は女性とはそうあるものだという認識を持っている。
だから、筋肉質で、脂肪が少なく、柔らかみの少ない女性の体を見て、脳の持つ認識の範囲内でそれを異常と感知し、ネガティブな印象を僕に与えたんだと思う。
じゃあなんでこの認識を僕は持っているの?
たぶん「社会的に形成された観念を学習した」か、もしくは「動物の本能としてプログラムされている」のどっちか。
この認識を自分は自分の意思とは関係なしに形成された、もしくは持って生まれたものなんだと思う。少なくともそこに自分の意思は存在しない。してたらただのsexistsの1人。
とにかく勝手に形成された価値観。気持ち悪い。
最近思うこと
たぶんちょっと前から思ってたけど、
「自分は自分の意思のままに生きたい。」
・社会的に組み込まれた一部として慣例に盲目的にしたがって生きるのはイヤで、
・動物的な本能を従自分の意志と勘違いした行動に支配されるのもイヤだ
自分は本能的な部分や社会によって自分の中に作られた価値観を引き離して、わがままに生きたい。
だから、常識や当たり前を疑う。
理由があってそうなのか、ただ根拠なく盲目的にそうなのか。
今回の女性ビルダーに対する認識に「?」を持って考えるきっかけができたのもこの偏屈のおかげ(or せい?)。理由があってそう感じている、とは思わなかった。理由がないのに男女という差だけで肉体美の基準に差が生じてしまうのだろうと。
結局なんの話なの?って聞かれたら
わからんw
それがブログです。適当な話を書くところだと思って今後も読んでみてください。
強いていうなら、「僕はわがままだよ」ってことです笑。
わがままだから、世間や自分の中の常識の思われるモノ/コトのラベルを、こういう思考プロセスを通して張り替えているよとわかっていただけたら。
まとめ
社会的な価値観に支配されたくない、なんなら自分の体にも、本能にも支配されたくない。
P.S.
「わがまま」ってネガティブなイメージあるけど、「が」はおそらく所有格の「が」で、例えば”我が母校”の「我が」と同じだと思う。つまり、現代語訳したら、「私のまま」。
ってことは、「私はわがままに生きたい」は「私は私のありのまま生きたい」って言うことと同じだから、この前者の台詞を発すると、自己チューだなって否定的に捉えられるのに、後者は青春してる、頑張れっみたいな後押しするような感情を以て捉えられるのは不思議ですよね。(僕だけかな)
もっと、「わがままに生きたい」って肯定的に捉えられればいいのに。もしくは、「私のありのままに生きたい」をわがままのように否定的に捉えられればいいのに。
( 不公平だ(!) )
たぶん匿名だと思うからコメントくださいな ↓↓